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ほろ酔いだっこ2003

 
 何もできなくても許されている

叔父が法事の席でよく話すエピソードがあります。それは

……高校の授業中、板書をしている先生が、ふと目をやった窓の外。先生の手はしばらく止まったまま、動かない。視線の向こうに何かがある。生徒たちは一斉に窓を覗き込む。

そこには、白い着物に、白い日傘をさした婦人が坂道を上ってくる光景が。暑いのか、婦人は坂道の途中で立ち止まり、レースのハンカチで額の汗を押さえる。

「目を見張るほどの美人やろ」先生はふと漏らす。うなずく生徒たち。叔父は言う。「先生、あれ、ウチのおふくろです」……

その話をするたびに、叔父は少年のような目になり、誇らしげです。母は返します。「おばあちゃんは、キレイなだけが、取り柄やったからね」叔父も否定しません。

「お客さんが来ると、話に夢中になって、いつもお料理こがしてたよね。でも、みんな『美しいお顔を見れたからよかったです』って」
「ほんま。銀行に行ったこともないまま亡くなるなんて、おばあちゃんぐらいのもんよ」
「一生おひいさんでね。でも、あの綺麗さは、子供心に鼻が高かったですよ」
「そうやね。こうして褒めてあげたら、いい供養になるわ」

多々不都合がありながらも、なぜか許されてきた祖母の思い出話を聞くと、綺麗である以上に、別のヒケツがあるように思えてなりません。

思い出される祖母の姿。それは、何の不足感も、何の不満ももたず、家族のそばにいることを心から喜んでいた優しい笑顔。それこそが答えではないでしょうか。

人は誰しも皆、何をしてもしなくても、許されている存在のはずなんです。それを無理するあまりに、もしかすると、許されない環境を自分で作り上げてしまっているのでは。不足感が生む、相手の不足感。ねばならないが生む、周囲のねばならない。

せめて生き方だけでも真似したい。心に浮かぶ優しい残像に思わず目を閉じてしまいます。




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