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ほろ酔いだっこ2003

 
 陶器の街に教えられる育み手放すことの大切さ

地図を見ていると、岡山の備前が日帰りで行けそうなことを発見!器好きの血が騒ぎます。早速、行ってきました。

陶器を買うとき、何軒ものお店を見て回ると、どれがよかったか、よくわからなくなることがあります。決め手になるのは次の要素。

1つは作品が訴えてくるもの。これは皆そうでしょう。もう1つの要素は、お店の人の雰囲気。これが結構ポイントが高かったりするんです。

備前でも、某作家先生の作品だけを置いているという、スタイリッシュなお店がありました。アカぬけています。でも、作品に味がないというか、深みが感じられません。さらに、店員さんが、私の目線の先にある作品を、鼻から抜けたような声で朗々と説明されます。

「この花瓶は、一輪だけさせるように、作られているんです」とガイドさん。「かなり細い茎でないときびしいですね」と私。すると「いえっ!それが、作家の意図するところでございまして……」と続く、続く、延々続く。

ゼッタイ、買いませんね。こういうところでは。陶器って作品なんですよね。もし美術館で、横にガイドがついて回ったら、鑑賞できませんよね。それとおんなじ。

心惹かれるのは、商売っ気のないお店。商売っ気がないというのは、売る意欲がないというんじゃなくて、客の購買意欲を静かに尊重する姿勢とでもいうのでしょうか。

今回も、そういうお店がありました。ひなびた小さな店内には、静かに語りかける陶器が、なにげに置かれています。

お店のおばさんは、陶器をてのひらに包みながら、おっしゃいました。「陶器はね、無理して買ったらダメなんです。後で、なんでこんなの買ったんだろうって思うと、使わなくなるでしょ。そうなったら、お嫁に行った、この子がかわいそうなんでね」。そう言って、陶器を撫でられます。

「この子」なんですね。そう、陶器じゃなくて、作品でもなくて、「この子」なんですね。

さらに続きます。「買ってよかったって思ってもらったときに、この子はお役に立つと思うんですよ」

陶器は作家の手を離れれば、売り手の愛情がモノを言いますね。愛を知っている陶器は、きっと作ったお料理の味さえも、おいしくしてくれる、そんな気がして、私は、そこで何点か買いました。

なんでも同じです。精根こめて書いた著作物も、手が離れれば書店に、そして読者に委ねるしかありません。出世してねと想いを込めて送り出した著書。なんだか、ふと思い出されました。

温かいまなざしを向けて、育み、手放すことの大切さを、旧街道に窯元や商店が立ち並ぶ、静かで穏やかな街にあらためて教えられました。

また、明日から仕事ですね。心を傾けて、やっていきましょう。




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