幼い頃は親に依存していても、ある程度の年齢になると、心配させるのは、やめようって、あえて煩わしい話はしなくなりますよね。
まぁ、話しても、ピントはずれの回答が返ったりするということもありますしね。
私の母も、多くの場合、話すんじゃなかったと、反省することがほとんどなんですが、1年に1度ぐらい、おぉぉ〜〜〜!と思うようなことを言ったりします。
母は私が幸せな結婚をすることだけを、念じているような人なので、仕事の話をしても「あっ、そ〜」って感じです。女の子供をもった親というのは、多くの場合、そういう部分があるでしょう。
でも、以前…。イヤな人が職場にいてね、という話をしたとき。母は私に聞きました。「雅子のイヤな人は何人いるの?」
私は答えます。「3人かな、いや4人、5人かなぁ」
母は続けます。「そう、外に出たら7人の敵がいるって言うでしょ。7人居て、ふつうなんだから、まだまだ大丈夫。雅子はするべきことをしていればいいの」
涙が出ました。
そして、その言葉は、人間関係で、つらいと感じることがあると思い出されるようになりました。
母は、どんな気持ちで、その言葉を言ったのか、それは知る由もありません。だけど、人の反応や対応に惑わされて、腹を立てたり、美学に反する言動をとってしまう自分を戒めてくれます。
いい人である必要なんてないんです。無理をすることもない。嫌いなものは嫌いだもの。
私なんてね、嫌いな人の顔を見たら、頭の上からゲロ吐いてやろうかって、それぐらの勢いで思いますよ(あっ、公の場で、こともあろうに…(-_-;)下品でまことに申し訳ありません。(-_-;)謹んでお詫び申し上げます…(__)(__)(__))
そのときはね、ざまーみろって対応もせーせーしていいですよ。それも大事。だけど、時間が経ったとき、悔いのない対応を、良心に恥じない仕事のしかたを、瞬時に選択できればって、言い聞かせてはいますよね。
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