陸前高田のなぎ倒された松に、鎮魂の想いが書かれたものを、五山の送り火で燃やすはずが、放射能汚染を気にして断ったというニュース。
京都出身の私としては、いかにも京都人の一面が色濃く出たと思うと同時に、その思いやりのなさといおうか、気概のなさに恥ずかしい想いがします。放射能は検出されていないのにね。
京都は古都の面影を残す美しい町です。質の高さを追い求める姿勢や、一流でありたいと願う心、芯の強さ等は、京都の、また京都人のよいところでしょう。
反面、保身に回るエリート的な発想があることも事実で、日本のなかで京都の価値は一番高いというような、不必要なプライドや傲慢さも持ち合わせていると感じています。
伝統や文化を守り続けるためには、ある程度、保守的な部分も必要でしょう。でも、国際都市を自負するなら、いいえ、それ以前の問題として、もっと外に向けて、たおやかに、しなやかに開かれたオープンマインドをもってほしいものです。
今回のできごとは、保存会の人たちの了見の狭さを露呈した形となりましたが、ただ、陸前高田の土地で、木々が燃やされ、それに手を合わされている光景を見て、縁もゆかりもない京都ではなく、亡くなった方が、またそれを書いた方が、生まれ育った町で燃やすほうが、魂も人も癒されるような気がしました。ご冥福をあらためてお祈りいたします。
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