「放射能が降っています。静かな、静かな夜です」
衝撃を受ける詩ですが、先日、テレビで、この詩をツイッターに載せた詩人に焦点があたっていました。
彼は、詩で震災を記録していくと同時に、人々を勇気づけたいと考えています。なぜなら、今回の震災は、言葉をなくすような経験だったため、皆、心の中に言葉を閉じ込めてしまったからです。その言葉を掘り起こして、光にすることができないか。それが彼の願いです。
私も「言葉」に深い想い入れがあります。だから、とても共感しながら見ていました。
そのなかで、取材を受けた高校教諭が言われた言葉が、印象に残りました。その人はしばらくの間、地震と放射能で部屋を閉め切って、先の見えない日々を過ごしていたといいます。その彼に元気を与えたもの、それは生徒でした。
「僕は彼らを必要としているんです。彼らが僕を必要としているかどうかはわからないけれど」
「僕は彼らを必要としている」、これなんですね。
私たちは、心のどこかで「人から必要とされること」を美徳と考えるところがあります。でも、それは見方を変えれば、人の目を気にしていたり、心の奥底に「役に立たなければ意味がない」というような強迫観念が潜んでいるとも考えらえられます。
そうじゃなくて、自分が必要と感じるから、ただそれに向かって進んでいく、実はそれで十分なんじゃないでしょうか。
今年の夏は町全体が薄暗く、暑く、なんとなく晴れやかになれないところがありますね。だからこそ、自分を主体においた考え方、それがエネルギーを与えてくれるような気がします。
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