JR福知山脱線事故から6年。一昨年、JR西日本の調査情報の漏えい問題が発覚したのを機に、国は調査を改めて検証し直す、前例のない「検証チーム」を設置しました。遺族・負傷者7人の参加は、被害者でなければ究明できない、日本の事故調査の課題とあるべき姿を提示したようです。
神戸に住む私は、免許を更新するために、事故後2年経った夏のある日、JR福知山線を利用しました。事故現場にさしかかると、快速電車はスピードをゆるめます。現場には観音様の像。もともと直感的なところがある私は、通り過ぎる瞬間、体温が下がっていくような感覚に陥ったことを覚えています。怨念とも、哀しさともいえぬ悲鳴。それが聞こえるような気がしました。その後、一度も、この線を利用していません。
被害者で作る検証チームの懸命な努力は、無念の死を遂げた人々の想いを受け継いでいるように感じられます。犠牲にした命を無駄にしないでという叫びと、無駄にするものかという願い。事故調査の在り方を世に問うのは、体面を保とうとしている加害者や、頭で物事をとらえている人たちではなく、痛みを、煮えたぎる憤りを、心や体に感じた人たち。
それは、世の中を変えるのは、体制側の人間ではないということを、私たちに教えてくれているような気がします。福島原発も同じでしょう。
叶うことなく消えていった星たちを支えるのは、今ここに生きている、名もない地上の星たち。中島みゆきさんの「地上の星」がこだまする気がします。
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