幼稚園に入園するとき、教育大付属幼稚園を受験しました。合格発表の当日、合格した娘の姿をと、父はカメラをもち、母は少し緊張した面持ちで。その両親に手をひかれ、会場校に向かいました。
結果は抽選で落選、不合格でした。母は涙ぐみ、父もカメラ片手にガックリ。私だって、その様子を見て、もちろん自分の名前がない掲示板を見て、口惜しくて泣きました。
家族3人は、すっかり意気消沈。このまま帰るのもどうしたものかと両親は思ったのでしょう。幼稚園の近くにあった遊園地に向かったことを覚えています。
乗ったのはメリーゴーランド。白馬は回り始めます。合格写真を撮れなかった父は、メリーゴーランドに乗った私の姿をカメラにおさめ、母は私が回ってくるたびに、日傘の下から手を振ります。
若干4歳で感じた失望と、ダメでも受け止めてくれる人がいるという安堵感。それらが入り混じるなか、メリーゴーランドはくるくると回り続けました。
大人になると、失望だけが渦巻く日々に出くわすことがあります。いろんなマイナスが、一気に押し寄せて。。。そして、それを受け止めるのは誰でもない自分。だけど、うまく受け止めることができない。いい年した大人になったのに。辛いことだって経験してきたはずなのに。そう思いながらも、消化できない日々。
瞳を閉じて、もう一度、白馬に乗ってみましょう。
カメラを向ける父、手を振る母は、私の大きな光になってくれました。大丈夫、大丈夫、ね、大丈夫よ。
今、そんな言葉をかけることができるとすれば、それは紛れもない自分自身。大丈夫、大丈夫、ね、なんとかなるから、笑っていこうよ、光はどこかに一抹ながら射しているはずなんだから。そんなふうに自分に言い聞かせると、涙が何筋もこぼれます。
泣いた、その後には、きっと光が見えますね。きっと、きっと、見えますね。
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