祖母は美しい人でした。その昔「小町」という呼び名がつくほど、色が白く、目が大きく、限りない品性のある人。子供心にも、美しいと見とれたものです。私は祖母が大好きでした。
大阪に住む祖父母の家の近くには、大きなお寺があり、境内には大きないちょうの木がありました。秋になると、こぼれそうな黄色の葉を見上げながら、祖母に手をひかれ、近くの市場に買い物に行ったことを覚えています。
私が幼稚園の頃のこと、市場で買ったコロッケがどうしても食べたく、私は祖母にせがみました。「歩きながら食べたい」と。祖母は優しい微笑をたたえ、しゃがみこんで私の目を覗き込みながら言いました。
「雅子ちゃん、おうちまで、もう少しだから、しんぼうね」
目に映るのは、ゆさゆさと風に揺れる黄色いいちょうと、祖母の大きな目。私は何も言えません。そうか、しんぼうか・・・。なんだか呪文のように、しんぼう、しんぼうと唱えながら、家まで歩いたものです。
それから、時は過ぎ、今から一年半前のこと。祖母は介護施設で余生を送っていました。いつも面倒を見ていた母が旅行に行った日、介護施設から電話が入りました。祖母の具合が急変したのです。たまたま家にいた私は、施設にかけつけ、その日一日、病院で祖母の看病をしました。
夕方近くになった頃でしょうか。祖母はベッドから起き上がり、背筋を伸ばして凛とした口調で一言いいました。「雅子ちゃん、もう私のことはいいから、家に帰って、博士論文を書きなさい」
それが、祖母と交わした最後の言葉です。翌日から祖母は、誰とも、まったく言葉を交わすことができなくなりました。
博士論文を書きながら、祖母と交わした最後の言葉をときおり思い出しました。けれど、不思議なことに、幼いあの日、「しんぼう、しんぼう」と繰り返しながら、家まで帰ったときの記憶と、それは混ざるのです。
しんぼう、しんぼう、博士論文を書きなさい、もう少しだから、しんぼう、しんぼう、博士論文を書きなさい。最後に交わした言葉をかみしめ、なぜ、あの言葉が最後なのかと、涙ぐんだ日もありました。と同時に、それは私を励ましてもくれたのです。
祖母は今も生きています。けれど、もう意識も何もなく、なぜ生きているんだろう?と母は私によく言います。だけど、私にはわかるのです。祖母は私が学位をとるまでは、生きてエールを送ってくれていたのだと。
桜が咲きはじめる春爛漫。けれど、今、私の心には黄色いいちょうが咲き乱れています。おばあちゃん、学位とったよ。もう、しんぼうしなくていいから、安らかに、最期を迎えてね。もう私のことはいいから。
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