幼い頃、バレエを習っていました。レッスンを終えて、家でさらに技術を高めるべく、黙々と踊る私を見て。
父「なんか、ダチョウみたいやなぁ」
母「聞こえるわよ。シーー。でも、ほんと。ダチョウみたい」
父・母「あははは」
その声を、うっすら、でも、はっきり耳にしながら。フン、ダチョウだって、いつか白鳥になるんだ!そう、みにくいアヒルの子が白鳥になったように。アン、ドゥ、トロワ。そう思いつつ、すっかり踊る意欲をなくす私でした。
大人になって、仕事をしていくなかで、やっぱり、白鳥になれないダチョウだなぁと感じることがあります。
でも、最近、ダチョウならダチョウなりに、楽しくダチョウをきわめてもいいんじゃないかと思うようになりました。別に「あはは」と笑われながら、白鳥にならなくたって、いいでしょうよって。
だけど、皮肉なことに、白鳥になるための目標が与えられます。それは白鳥にとっては、厳しくもあり、嬉しい道しるべ。でも、ダチョウには厳しいだけかもしれない努力を強いられる日々かもしれません。そんな気がしながらも、手を伸ばすその先に、光はありますか?
父と母はどうして「あはは」と、残酷にも笑ったのでしょう。
そんな遠い昔の、忘れてもいいような、だけどなぜか覚えている思い出を、ふと、思い出した今日この頃。アン、ドゥ、トロワ。ダチョウが夢見た白鳥は、なる必要のない私だったのかもしれません。
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