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ほろ酔いだっこ2003

 
 青い画面を見つめつつドラマは目の前にある現実の巻

マンションの向こう側には、神戸のブルジョワジーの豪邸が広がります。私のリビングの、ちょうど目の前にある一軒の家。家というよりビルといった感じです。

何百平米あるのでしょう。ビルの4階部分すべてがリビングになっています。

年末、テレビを見ながら、窓の外に目をやると、ビル家族はパパとママと子供らしき3人でテレビを見ていました。

今まで、その部屋に人影を見たことはありませんでした。パパは単身赴任だったのかもしれません。それとも、セブンイレブンパパだったのでしょうか?

影絵のように遠いその姿は、寒い冬の夜に見る夢のよう。三人揃う姿に、妙な安堵感を覚えます。

反面、私が見ているテレビから映し出される光景は、不幸なドラマでした。「涙は一つになって川になる」というような、そんなタイトルだったような。ブルーの画面が、印象的なドラマでした。

ふと見ると、向こうに見える、ビル家族の小さな小さなテレビの画面もブルーです。しばらく、テレビを見ずに、じっと相手のテレビを見ていました。私のテレビと同じタイミングで、同じ色に変わっていきます。

私にとって、もはや、ドラマはテレビのなかにはありませんでした。

収入の半分近くが家賃に消えてしまうと「爪の先に火をともしている」私と、見るからに「裕福」そうなビル家族。会ったことも、話したこともない、でも、「遠い」「目の前にいる人」と同じ番組を見ている不思議。

深深と押し迫っていく年の暮れ。あの人たちは、どんな想いで、この番組を見ているのでしょう。

人生はドラマですね。そして、それは一人ではつくれません。あなたの今日は、どんなドラマでしたか?それは、誰と一緒につくりましたか?



まさこの今

いつになく遠目に見ているビル家族の姿は、私にとって親しみのある光景の一つになっています。でも、もしビル家族と、駅前で出会っていたとしても、私にはわかりません。毎夜、見ていても、わかるわけないんですよね。

お互いがお互いを見て、すぐわかる関係って、すごいことだと思わずにはいられません。「会えた」というその確率は、本来奇跡的なものなのでしょう。

世界人口約68億人、日本は1.3億人弱。そのなかで、私たちは生まれてから死ぬまで、一体どれぐらいの人と出会うのか。

そう思うと、人間性を疑う上司や、悪意のあるお局に、よりによってどうして出会ってしまったのかと思う反面、会わなければならなかったんだとも思いますよね。

会いたくても会えない人がいる。会いたくないのに会ってしまった人もいる。見ていても認識できない人もいる。さまざまな人、さまざまな出会い。そして大半の会えない人々。

ブッダの言葉が思い出されます。

「目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」

出会った人たち。その必要性をもう一度、見つめ直してみるのもいいかもしれません。



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