友人が、NPO法人を立ち上げ、その1周年記念パーティが、先日ありました。法人の趣旨に賛同して、惜しみなく協力をされている、堀場製作所の堀場雅夫氏や、グルメ杵やの椋本彦之氏もお祝いに駆けつけられ、立派な祝宴でした。
パーティの式次第では、フィンランドの研究者が発表をし、彼女が同時通訳をするという一幕も。笑顔で流暢に英語を話す彼女は、それは、それはカッコよく、キャリア・ウーマンって、こういう人のことを言うんだと、友人として、誇らしい気分にさえなったものです。
だけど、帰りの電車のなかで、落ち込んだことも事実です。それに引き替え、今の私と来たら・・・。
沈みそうな船のなかで、髪の毛ひっつめて、メガネかけて、明けても暮れても机の前。たまに見上げる高い空。太陽は今日も見えず、このまま、船もろとも沈んじゃうんだろうかと・・・。
幼い頃から、私は泣き虫でした。泣くのは決まって口惜しいときです。小学校のとき、学校で起こったことを、親にうまく説明ができず、気がつくと、泣きながら話をしていました。
中学のとき、学級委員長をしていて、委員会で皆が静かにならず、気がつくと、やはり泣いて注意をしていました。
秘書をしていたとき、大好きな彼に、気持ちがうまく伝えられず、帰りのバスのなかで、人目もはばからず、またしても泣きました。
そして、今。泣きながらパソコンの画面を見つめることが、何度もあります。口惜しくて、情けなくて、はがゆくて。人の気質は変わりませんね。
だけど、考えてみれば、彼女が法人を立ち上げた頃、かわいそうなほど東奔西走していたことを、私は知っています。家でまともに食事をする時間がなかったことも、人間関係に悩んでいたことも、プライベートで大変なことが重なっていたことも、私は知っています。泣きたいことも、たくさんあったでしょう。
人には必ず報われる瞬間がある。それを彼女は教えてくれたのかもしれません。
今度、泣くなら嬉し涙。あたたかい春の日に、あたたかい涙をひとすじだけ。
京都は今日、五山の送り火、大文字です。神戸から、育った町の遠い京都の送り火が、色鮮やかに浮かびます。そして、もっと遠い遠い春を思いながら、やっぱり少し涙ぐんでいます。
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