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ほろ酔いだっこ2003

 
 桜に思う。生きるということの意味の巻

それは、地下鉄のベンチに腰掛けたときのこと。隣に座っていた男性が、お弁当箱を開け始めました。食べる時間がないほど忙しいサラリーマンのようです。

ところが、ふたを開けたり、閉めたりを繰り返しています。よく見ると、彼は知的障がい者(この表現好きではありません。が、ほかに表現がないので)でした。

何度か開け閉めを繰り返したあと、やっと食べる決心がついたのか、そぉーっとお弁当のふたを横に。開けられたお弁当からは、お母さん(作った人)の愛情が一気に溢れでます。色とりどりに美しく、栄養バランスも考えられたおかずの品々。

ほの暗い地下の白い蛍光灯が、彼の食べる輪郭を浮かび上がらせます。背中を丸め、一口一口かみしめながら食べ続ける姿を。

キィーンという摩擦音を立て、電車が通り過ぎても。何人もの人が塊のようになって彼の前になだれこんでも。何もないかのように、お弁当の一点だけを見つめている彼。今、何を考えていますか。お母さんは日々どんな気持ちでお弁当を作っているのでしょうか。

しばらく、目が離せませんでした。

そして、地上に出ると、さっきの暗さがウソのように、外は春の外気に満ち溢れています。

目の前を行き交うのは、卒業式を終えた大学生達。華やかな晴れ着や、誇らしげなスーツに身を包み、まるでこの世の春を一人占めするかのような、まぶしい笑顔に、一瞬目が眩みました。

ふと浮かんだ、地下でお弁当を食べる彼の姿。

こんなとき、輪廻転生があればいいなと思ってしまいます。その発想が差別だ、何をもって幸、不幸というのかと言われるかもしれません。

けれど、冬の後には春が来るように、人生も、さまざまな「とき」が巡ると、思いたい心境でした。

見上げると、桜のつぼみが少し膨らんでいます。これから咲くのだと、大気に向かいエネルギーをたくわえているつぼみ。もうすぐ、そのエネルギーが放射線状に放たれる日がきますね。

ただただ咲き、ただただ散る桜。もしかすると、その生き様がすべてなのかもしれないと、ふと教えられた気がしました。

それができれば、もしできれば、生まれ変わりなんて必要ないのかもしれません。




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