何かの番組で、親子なのに姉妹みたいなお母さんを探すというのがあります。会場に出てくるお母さんは、ミニスカにブーツ姿、はたまた茶髪という、一見ワカワカです。V6たちは、のけぞって、一斉に「えええーーーー。お母さん、どう見ても10代ですよォ」などとコメントします。
でも、笑ったときの顔の輪郭が、どのお母さんもたるんでる!若いというより、若づくり。同じ服を着ていても、お譲ちゃんは高校生。お母さんは歌舞伎町・・・。
もちろん、お母さんたちは、憂き身をやつして努力や工夫をされているのでしょう。私はこのとおりズボラで、飲むだけ飲んで、もう寝っよォーというタイプなのでエラそうなことはいえません。
だけど、年齢を重ねた女性の美しさとは、幼稚な美しさではないはずだと、酔っぱらないながらも、確信めいて思うのです。
まだ10代の頃。自分が大人になるなんて、想像もできませんでした。もちろん、老いるやフケるなんて死語!間違っても、たるむとか、下がるなど発想さえなく、若く死ぬのもカッコイイ!!そんなことさえ夢見がちに思ったものです。
世の中の苦しさや不幸は、実は自分の、できの悪さやわがままさに起因しているだけのことなのに、「あっ、もうダメ。こんなに不幸なのは私だけェ」と、ベッドに入って、ふとんをかぶり、オオ泣き。目のなかに星を入れて、うるうるしていたに過ぎないのです。
だけど、何をしても、言っても、結局は自分に跳ね返る。それは、よくも悪くも。誰の人生でもなく自分の人生だ。そう思うようになった頃から、若さより年相応の美しさに心惹かれるようになりました。若く見えることは、大切なこと。だけど、それ以上に、ふんわりと温かく、凛と背筋を伸ばした、きれいな「大人」になりたいと。
木のりこ」の詩。ご紹介しましょう。
「小さな娘が思ったこと」
小さな娘が思ったこと
ひとの奥さんの肩はなぜあんなに匂うのだろう
木星みたいに
くちなしみたいに
ひとの奥さんの肩にかかる
あの淡い靄のようなものは
なんだろう?
小さな娘は自分もそれを欲しいと思った
どんなきれいな娘にもない
とてもきれいな素敵な或るなにか・・・・
小さな娘がおとなになって
妻になって母になって
ある日不意に気づいてしまう
ひとの奥さんの肩にふりつもる
あのやさしいものは
日々
ひとを愛してゆくための
ただの疲労であったと
この詩は、やるせない余韻で終わります。だけど、年齢を重ねるということは、こういう、やるせなさや痛みや涙を、だけど喜びや感動を、心に体に、降り積もらせながら、自分を他人を、静かにあたたかく見つめる過程ではないでしょうか。
大学生が中学生に見えたら、おかしなことです。それと同じで、お母さんが子供に見えるのも、おかしいっ!あっ、でも、そういうお母さんは、一生子供でいさせてくれるような、ロリコンダーリンがついてるのかな?
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