小学生になった頃のことだったでしょうか。家族で旅行に行ったときのことです。
旅館の廊下で夫婦らしき人とすれ違いました。あまりに似つかわしくない二人に、私の目は釘づけに。男性が冴えないのです。身長といい、顔立ちといい、雰囲気といい、どこから見ても風采が上がりません。それにひきかえ、女性の美しいこと。美人というだけでなく、都会的なセンスに加えて、華やかさまで持ち合わせている人。
子供心に不思議でした。
「あの人たち、似合わないね」。私は母に訴えました。すると、母はたった一言。
「男の人に甲斐性があるのよ」と言いました。
「カイショウ?」
7歳の子供が甲斐性の意味を知る由もありません。けれど、カイショウとは、怪獣のような男性に、女優のような女性が寄り添う、何かすごい魅力をもつものに違いないという印象が残りました。
甲斐性とは一体、何でしょう?一般的には、経済力をさすのでしょうが、私は少し違う考え方をしています。甲斐性とは、「女性を一生、オンナでいさせてくれる」男性のことと。
結婚した相手と一緒になれてよかったと、結婚何十年後に心から思う女性は、そんなに数多くはないでしょう。そうこうしているうちに、女性は精神的にオンナではなく、オバサンになってしまう。
私の祖父母は明治生まれですが、駆け落ちをして結婚しています。それはそれは仲むつまじく、いつも手をつないで歩いていたものです。私は祖父母の家に遊びに行くことが好きでたまりませんでした。それは、どっしりと男らしい祖父と、いつも幸福そうな祖母の顔を見るだけで、満たされた気分になったからです。
祖父が亡くなったとき、祖母は「私も早くおじいちゃんのもとに行きたい」と、遺体にすがって、泣き続けました。祖父は甲斐性のある人だったのでしょう。
パートナーを一個人として、また、一女性として大切にする人、これが私の考える甲斐性です。言い換えると、愛情と度量のある人ということになるのでしょうか。もちろん、女性も男性に、ただ寄りかかるだけでなく、自分の置かれた立場で役割を果たし、彼を愛しむ気持ちを持ち続けることが、大切なことは言うまでもありませんが。
そういえば、先日、北新地のサンボアで呑んでいたときのこと。隣の席から、こんな会話が聞こえてきました。
「君がここまで来れたのは、奥さんの内助の功ってやつだね」
「いや、ウチは内助の功というより、内緒の功で・・・」
猜疑心を主人のエネルギーの源にするなんて、ここの奥さん、甲斐性あるのねー?!
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