tanakamasako
To top pageProfile研究業績研究内容講演ミッションマネジメントEssayお問合わせ
ほろ酔いだっこ2003

 
 寒い大人にバイバイ。ムダが熱さの原動力の巻

以前、企業の方と話していたときのこと。

「我々中年以降の人間は、本当はみんな熱く仕事をしたいんですね。もう一度って心の奥ではそう思ってるんです。でも、日常に紛れて、結局は今さらっていう気持ちになる、それが現実なんですね」

そんな話をポツリとされたことがありました。ある種のあきらめと、それに伴うやるせなさ。「熱さ」ってなんでしょう。

浮かぶのは、若いときのひたむき。得にもならないことに懸命に取り組む姿勢や、現実不可能なことでも体当たりでぶつかっていく勇気などは、熱さの象徴のような気がします。

職業をもつようになって、こんなことをしていたら、仕事ははかどりませんね。でも、こんなことを考えることさえしなくなったから、人生が少し寒いのかもしれません。

ある日の授業中。2時間近くかけて、大学に通勤していることを話したら、男子学生が「先生、ボクがアッシーしてあげますよ」と言い出しました。

ほんとー?うん、でも車じゃなくて、「チャリで」。えーーー、チャリで送ってくれたら、かえって時間がかかっちゃう。それに君、クタクタよ。大丈夫、鍛えてますから。そうそう、先生を乗せるんだから、チャリに「BMW」のロゴマーク、描いて貼っておきますね。

いつしか話は空想のなかへ。チャリは風を切って走る、走る。このまま手を上げたら空に飛んでいきそうな勢いで。疲れたら、大和川を見ながら土手で休憩。少し寝転がって伸びをして。そして、また走る。オフィス街の本町を突っ切って、スーツ姿のOLを横目に。だけど陽も落ちて、おなかペコペコ。じゃあ、私がメッシーをしてあげよう。新地でおいしいものでも食べて、また、がんばって走ってよ。えええっ、何食べてもいいんですか?いいよー。イタメシにする?それともお寿司?せ、先生、それならボクもアッシーしてあげます。あっ、ボクも。ボクもボクも。残念でした。運転士は一人で十分です。

そんなことを、ひとしきり話したら、教室には楽しい雰囲気が溢れ、室内の温度が上がったようにさえ感じられるから不思議です。

大学教員のおもしろさは、こんなムダをムダともしないエネルギーや発想に出くわすときです。そして、あらためて自分が、常識でモノを考える大人になったことを反省させられます。

大人の熱さは、若い頃のそれとはまた違うことが原動力となるでしょう(私は、大人の熱さは、「覚悟すること」だと思っています)。けれど、もしかすると、日常のちょっとしたことを変えるだけで、また、熱くなれるかもしれません。

たとえば、明日の帰り道、一目散に家を目指さずに、夜空を見上げてみるというのはどうでしょう?きらきら輝く星たちを、立ち止まって見上げたその瞬間、心に浮かぶものはなんですか?



まさこの今

私の住むマンションは駅前にあります。見下ろすと駅の改札口が見えるんです。ときどき、ボンヤリ下を覗き込んでは、不思議な気持ちになることがあります。それは、改札口を出た人は、皆、ただ一目散に家を目指して、まっすぐ前だけを見て歩いているということ。誰1人として、後ろを振り返ったり、立ち止まったりしないんです。

その規則的でスピーディーな歩き方は、上から見ていると、朝のラッシュと同じほど、異様に映るときがあります。

朝は会社を目指し、夜は家を目指し、お盆とお正月になれば、渋滞に巻き込まれながら実家に帰ったり、日本人だけが集まっているような海外の島にわざわざ行ったりして、そして、また会社だけを目指し、家だけを目指し、歩みを進める。それが人生といわれるものだとするならば。

競争社会のなかで、いつの間にか身につけた、勝つための所作。だけど、前のめりになって歩く人を見るたびに、もっともっと余分なことをしながら、生きてもいいんじゃないかって思うんですね。

やりたいことを、まずやり、自分の心に制限をかけず、もっと自分らしく生きていけたらと。

まぁ、愛人の家に入り浸りになって、我が家に帰ることを忘れるっていう人も困りますけれどね(笑)。


                                                   新・ほろ酔いだっこもくじに戻る


無断複写の禁止