研究がはかどらず、専門分野とは関係のない本ばかりを読んでしまうときってあります。別分野の研究書を読むと、「こんな研究もあるんだぁ」と妙に感心することも。私が特に興味をもつのは、やくざやホモやあいりん地区の人たちに焦点をあてた社会学。これらの研究は、生き様の多様さ、人の不思議さ・哀しさを感じさせてくれるから好きです。
それらの論文を読み進めて感じたことがあります。それは、ホモに関して、そこに描かれている当人の心の葛藤や悩み、苦しさといったものと、世間一般がもっているイメージとの間にずいぶん、隔たりがあるのではないかということです。
思い出されるのは、もう10年以上も前のこと。
大阪のドヤ街に紛れ込んだ私は、そこで一軒の書店を見つけました。奥行きのある店の奥に入っていくと、なんだか異様な雰囲気が立ち込めています。何が異様かというと、視点の定まらないお客が、あっちにもこっちにもいるではありませんか。まだ、正午過ぎだというのに、この苔むしたようなダークさは一体、ナニ?
ふと、周りの書棚を見ると、ええっ!思わず声を上げそうになってしまいました。「SM」「ホモ」「レズ」「変態」などの区分けがされているのです。入り口は週刊誌や雑誌が並べられている普通の本屋さんだったのに、ココって、「その手専門」?!!
初めて足を踏み入れたアヤしい世界。体が少し震えながらも、怖いもの見たさの心理も手伝って、私は興奮のルツボに陥りました。そして、「ホモ」と書かれたコーナーで「薔薇族」なる雑誌を発見!これが有名な「薔薇族」?表紙からすでに淫靡さが漂っています。しかも、読めないように、帯がきっちりされているさまは、ますます好奇心をそそられるというものです。
見たーい。本を円柱状にすれば中が見えるんじゃないかと思い立ち、万華鏡を見るが如く覗き込んでみました。
すると、パチーンと音がして、帯がとれたのです。やったぁ。私は堂々とその雑誌を読むことに成功したのでした。
ドキドキしながら、ページを1枚2枚。そして、しばらく読んだあと、すっかり気分が悪くなりました。もう、キタナイといおうか、見たくない!といった感じでした。
男性は女性を、女性は男性を愛するのが、やっぱり自然。だけど、誰も愛せないというぐらいなら、同性であっても人を愛することができるほうが尊い。理屈ではそう考えていても、雑誌から受けた印象は、そういう純な気持ちからはかけ離れた、風俗的な卑猥さばかりでした。
マイノリティに対して偏見を抱く要因として、それを面白おかしく伝えるマスコミや、いやらしさを強調した雑誌の存在があるような気がします。それとも、当人にとっては、不本意ながらもオモシロエッチに表現されるほうが、壊れてしまいそうな脆さを支えやすいのでしょうか。それとも、それとも、屈折した心をかかえながらも、実はエロチックなのでしょうか。
よくわかりません。ごめんなさい。でも、わからないのです。
ただ、自分らしく生きているならば、自分らしく生きていけるならば、中途半端に理解してもらう必要はないのかもしれません。
人生において、想いをまっとうすること、それが一番、価値あることだと思うからです。
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まさこの今 |
このエッセイのなかに出てくる書店ですが、今も健在です。どうして知ってるかって?ふふふ。
実は、留学生が体調を崩し、緊急入院をしました。クラスアドバイザーをしている私は、身元保証人として彼が入院している病院へ出向いたのですが、その病院が、なんとあのドヤ街の商店街を抜けたところにあったのです。
学生の顔を見るまで心配で、駅を降りてからも、私は走っていました。ところが!立ち飲み屋に挟まれるようにして立つ一軒の書店を見た瞬間、私の記憶はダダダとすごい勢いで逆戻りを始めました。
あ〜ッ、ここだッ!変わっていません。恐る恐る覗いてみました。入り口付近は普通ですが、中はやはり!異空間が広がっています。四方八方の立ち飲み屋から染みてくる、悪い油の臭いで胸がいっぱいになる、その状況も変わっていません!もう胸が高鳴りました。
きゃぁ〜。瞬間、学生のことを忘れました(ごめんなさい)。でも、気を取り直して、足の向きを直して、いざ病院へ!
これだけ書店が潰れるなかにあって、これはすごいことです。経営戦略の視点からも、再来の余地ありです。
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