「ハゲ」というのは、男性にとっては、あってはならぬこと。ある種、死活問題なのかもしれません。もちろん、髪はあるほうがベターですよね。
でも、ないのに、それを必死で取り繕っているのは、「ナイ」より、もっとみっともない。
ウチの母はなぜか、ハゲに敏感で、テレビや道行く人を見るにつけ、「雅子、見て見て、ほら、あの人。アデランスよ」などと、かぶりものをしている人を発見するたびに、まるで宝くじでも当たったかのように、誇らしげに報告するのです。暇があれば観察をしているその姿は、半分フェチに近く、私は毎回うんざり。もし、生まれ変わりがあるとしたら、母は絶対ハゲになると信じてやみません。
今日も、テレビを見ていると、母が「雅子、見て見てぇ。この人、頭に内海と外海があるゥーーー。あははは」などと笑っています。
まただよ、また。と思いつつも見てみると、SARSに関して語るその人の頭は、まさしく内海と外海。たすきがかかったような前髪が、チョロリとおでこにかかっていて内海をつくり、そのバックには、とろろこんぶを、まだらに敷き詰めたような髪。ところどころに見えるのは、外海でしょうか?SARS菌は大陸側の外海ですね、というような地肌・・・。いくら批判めいたことを言いたくなくても、この「おぐし」を見れば、話など聞かずに笑ってしまうというものです。
誰も好き好んで、このような身体的特徴を選ぶわけではありません。個性といえば聞こえはいいけれど、それなりの、いいえ、それ以上の悩みがあることも理解できます。
だけど、なぜ、第三者が笑ってしまうのか。それは、あまりに潔悪いからでしょう。いい歳になってまで、ショロショロ橋渡しにしていたり、なかには、後ろ髪を前髪のように見せかけたりしている人を見かけると、若いときの羞恥心とは違う、度量の狭さを感じずにはいられません。
たとえば、指揮者の井上道義さんはハゲですが、そんなこと微塵も気になりません。コンダクトを振り上げる姿は勇ましく、かつナイーブで、惚れ惚れと見とれしてしまいます。
これは自分なんだと受け入れて、ありのままにオシャレして、ありのままに堂々としていれば、大半の人はそれをおかしいなどと思わないはずなのです。
モテル人を見ていると、必ずしもカッコよくはありません。ただ、ありのままの自分や状況にOKを出していて、ひがむでもなく、優った人を貶めるわけでもなく、むしろそれをギャグにしたり淡々と語れる、そんな自然で勇敢な姿に、人は心を動かすような気がします。
あなたが、もし、カッコ悪いとしたら、それはハゲのせいではなく、その気持ちのせいかもしれません。
|
|