大地から立ち昇ってくるエネルギーが見えるみたい!!
今まで、自然に触れる旅を何度か経験してきました。でも、ケニアはその比ではありません。多くの動物の命を育み、それを見守る、自然のパワーが至る所から溢れ出ている感じです。
ゲームドライブをしたり、バルーンに乗ったり、飛行機の副操縦席に乗せてもらったり、ジャグジーに入ってシャンパンを飲んだりしながら、来る日も来る日も自然に触れて、強く思ったことがあります。それは太陽の揺るぎない力。
何をしてもしなくても、毎日、太陽は昇り沈んでいく。その日一日が仮にハッピーであろうと、なかろうと、私たちを照らしてくれている。それは、なんてすごいことなんだろうって。
照らされた光のなかで、野生の動物たちは、命に必要なものだけを狩り、あとは日々、子供を守り、ジャれあったりケンカをしたりしながら、共存できるものとは限りなく共存しあい、自然に逆らわずに死んでいく。人に生まれて、どうして、そういう生き方ができないのか。
私も自然の一部で、自然から恵みをいただいていることに、もっと手を合わせて生きていきたい。アフリカの大いなる精神、「ポレポレ(ゆっくり、ゆっくり)」を傍らに置きながら。そんなことを考えた飛行機のなか。
そして、帰国して数日後。未曾有の大震災、東北関東大震災は起こりました。
人の無力を感じずにはいられない自然の猛威。今まで築き上げてきたものを、大切な人を一瞬にして奪ってしまう破壊力。連日報道されるニュースには、ケニアで感じた偉大なるエネルギーの、負の側面だけがありました。
それに追い打ちをかける放射能漏れという人災。天災の前には、なすすべのない脆い私たちなのに、人間がこの世の最高の存在であるかのような考えのもと、発展させてきた高度な技術に、今こうして操られ、被っている甚大な被害。今までの考え方が、いかにエゴに満ちたものであったかに気づかされます。
私たちは皆、「生かされている存在」なんですね。ならば、生かされた存在として、いかにあるべきなのか。そんなことを、これを機にもう一度考え直す必要がありそうです。そして、その答えは、ケニアで見た野生の動物の生き方に、どこか重なり合う部分があるのかもしれません。
自然は素晴らしさだけを、もたらしてくれるわけではないけれど、それでも、太陽はいつも私たちを照らしてくれている。このことを胸に刻んで、知恵のある、心が温かくて強くなる生き方を模索したいものです。
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