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見果てぬ夢と現実と

 
人の心に寄り添いたい アヴェイロ/ポルトガル

長期に渡って旅行をすると、家事に費やす日というのがあります。スペイン・ポルトガルをひと月かけて旅行したとき、ポルトガルのアヴェイロという町では、一日中、お洗濯をして過ごしました。

アヴェイロは、タイル張りの駅がメルヘンチックな、こじんまりした運河のある町です。夕方、お洗濯も取り込み、運河沿いを散歩することにしました。歩道には等間隔にヤシの木が並び、それが黄昏に染まる風景は、事無く過ぎた一日の終わりを静かに教えてくれているかのようです。

運河に沿って歩きながら、思い出されることがありました。それは通り過ぎた出来事で、なぜ思い出したのか、わかりません。

……当時の私は八方塞がりでした。仕事も恋愛もうまくいかない。ある日、泣きながら歩いていました。いろいろ考えているうちに涙が出てきたのです。折しも雨が降ってきました。でも、気になりません。雨が降ったほうが泣き顔を人に見られないからいい。そう思っていました。

そのとき「濡れますよ」と傘をさしかけてくれる、見知らぬ男性がいました。私は十分に彼の顔を見ることもなく、言い放ちます。「いいです。濡れても」彼は続けます。「風邪ひきますよ」私はまた無下に返します。「いいです。風邪ひいても」

傘をさしかけられながら、無言のまま、駅までのまっすぐな道を歩きました。

駅に着くと、雨はいよいよ本降りに。彼は何か言おうとしましたが、言葉を飲んで、傘を差しだしました。私は言います。「いりません。いただいたら、(あなたは)濡れるでしょ」「僕は会社が近いから、大丈夫」そういうと彼は微笑み、雨のなかを走っていきました。

手渡された傘を握りしめながら、人の好意さえ受けとめることができないほど、心が軋んでいることに気づかされます。情けなさに涙があふれました。

……まっすぐに続く運河が、駅までのまっすぐな道を歩いた日を思い出させたのかもしれません。そして、あらためて思いました。何かに沿って歩くこと、それは安心感だと。

私には、ひとつ誇れることがあります。それは人に恵まれているということです。もちろん、悪意をもって接してくる人がいたり、食事がのどを通らなくなるような、陰湿なことをされたこともあります。だけど、それ以上に、今まで多くの方に、ずいぶん救い上げてもらったり、支えてもらったりしました。その優しさや頼りがいに、どれだけ助けられたことか。私が歩きやすいように、「私に沿って」伴走してもらえたんだと。にもかかわらず、不誠実しか返せないこともあったと。

川を渡る風は何も言わずに髪を揺らしていきます。沈み行く太陽も何も言わずに頬を染めていきます。

そんなふうに私も、これからは静かに人の心に寄り添うことをしていきたい。それが巡り巡って、力を貸してくれた人に返ってくれれば本望です。




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