ふだん仕事をし続けていると、この仕事があたりまえって、誰しも思っているはずです。もちろん私もその一人。
だけど、旅行に行って非日常的なものに触れると、何があたりまえなんだろうって感じたりしませんか?
マルセイユに行ったとき。海と、丘の上に立つノートルダム・ド・ラ・ガルド教会を背景に、夕方になると毎日現れるバンドがいました。南米ペルーのフォルクローレ&ラテンミュージックを演奏する、チップで日銭を稼ぐ人たちです。
もちろん、それで生活が成り立つわけはないとしても、こういう生き方だってあるんだなって、ふっと思うんですね。海風に吹かれながら、南フランスで聴くフォルクローレ。なぜか懐かしくもあり。
そういえば、高校時代、バンドを組んでヴォーカルをしていた私は、歌うことが大好き(でも、自慢できるほど下手です…)。今はカラオケにさえ行かず、お風呂のなかでも、ほとんど歌うことはしませんが、論文書くより、歌っているほうが、はるかに自分らしいかも。
それなら、私も港町で着物でも着て、♪桜、桜、弥生の空は〜♪と歌ったって、いいんだ。何も目くじら立てて、奔走して、机に向かって、しがみつく必要もないんだと、少し気がラクになったりします。
ここまで頑張ってきたからと思えば、仕事は「されど」。「この仕事しかできないからね」という言葉の裏には、「されど」の想いが満ち溢れています。だけど、「たかが」の気持ちも大切。仮に私一人、辞めようが何しようが、誰も困らなければ、世の中が変わるわけでもない。あっ、男子学生は少しさみしがってくれるかな?なんてね。
「されど」と「たかが」のバランスをとりながら、生きる道を一つだけに絞り込まない、しなやかな人生観をもちたいと思うこの頃です。
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