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見果てぬ夢と現実と

 
停滞した混沌。貧する国のやるせなさ バクタプル/ネパール編

ネパール。インド文化と中国文化が融合した国。昔なつかしい風景に出会える町。そんなイメージを抱いていました。実際にカトマンズを歩いてみて感じた印象は…。

どこからともなく湧いて出てくる人の群れ。人の間をかすめて通る車やバイク。そのけたたましい音。埃と油の混じった、のどが痛くなる大気。民族のるつぼのような見慣れぬ顔、顔、顔。それは、まさしく混沌であり、路地裏の日もあたらないような暗い長屋アパートは、不健康そのものです。

タイに行ったとき、ハマるという感覚をもちました。その混沌さに、そのいい加減さに、その屈託のなさに。カルチャーショックを受けました。日本で大切にしているものが、はたしてここで価値あるものなのか、何をもって幸せというのか、そんなことを考えさせられたからです。

ここ何年か、1年に1、2度はアジアに行きます。それは、上に伸びようとする、うごめくエネルギーのなかで、今いる自分、今ある自分を再点検できる気がするからです。

でも、同じような混沌のなかに身をおきながらも、今回は淋しい気持ちになりました。やるせないというほうが適切かもしれません。

感じるのは停滞した混沌。あきらめのような、満たされぬ想いが、喧騒の町中に、黒い噴煙になって、じっと横たわっているかのようです。

それはカースト制度を支配するヒンズー教の価値観のせいなのか、教育水準の低さからなのか、女性蔑視の風潮のせいなのか…。人生を楽しむ姿が見えないのです。

だけど、この世の春のように人生を謳歌している人も、もちろんいます。ネパールで大きな成功を収めている、知り合いのネパール人実業家のお宅で夕食をごちそうになったときのこと。彼らの生活は豊かさで溢れていました。お城のような豪邸に住み、お手伝いが数人いて、メイドインジャパンに囲まれ、もてなすことを十分に心得ている。そこには絵に描いたような幸せな生活がありました。

幸せが、ごく限られた一部の人にだけ享受されているという事実。人生の縮図を見るような、なんとも不条理な感覚を味わずにはいられませんでした。

バクタプルの寺院に腰掛け、そんなことを考えていると、目の前には物乞いの子供達。彼らはつたない英語でつぶやくのです。「マン、ギブ、マニー」。差し出された手は、小さく、汚れています。

そのとき、声をかけてくる現地の人がいました。「お金をあげる観光客、結構いるんですよ。でも、お金をあげると、親が彼らに期待して、学校に行かせなくなってね」と顔をしかめます。そして、これらの寺院は沙羅双樹の木でつくられたものだとも教えてくれました。

時がとまったような、赤茶のレンガ造りの寺院に囲まれながら、ふと、浮かんだ平家物語の一節。

祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色…。それから先が、なぜか思い出せませんでした。

沙羅双樹で作られた古い寺院たちは、私たち外人に何を語りかけていたのでしょう。




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