その年のクリスマスの日、私はアユタヤ近郊の名も知らぬ田舎町にいました。アユタヤの12月は、日本の春という気候です。半袖にカーデガンをはおり、その日はなんの目的もなく、付近を散策していました。
選挙が近づいているのか、もう終わったのか。木に張られた立候補者のポスターが、風にゆらゆら揺れています。その木の下には、近所の人が干している、りんごのような赤い実。赤い実を見たせいか、今日がイブだったことを思い出しました。暖かいとピンときませんね。少し歩くと、白い涅槃像が横たわっています。非日常的で、でも、どこかしら懐かしい風景。
そのとき、あるメロディーが聞こえてくる気がしました。それは父が弾くショパン。ショパンに似合う風景ではないのに、黄昏の風ととともに耳にこだまします。
10代の頃までは、クリスマスは家族と一緒に過ごすのが常でした。食事の後は、皆でゲームをしたり、父がピアノを弾いたり。それがお決まりでした。
当時、私は父があまり好きではありませんでした。ピアノを弾くその手で、私をもっと包んでくれればいいのに、そう思っていました。
そんな記憶があったはずなのに。こんなところに来てまで、その旋律がこだまするのです。クリスマスというだけで。
不思議なものです。クリスマスになると、私は今でもピアノの旋律が恋しくなります。きっとそれは、紛れもない温かさだったからでしょう。
大人になるとわかります。大人の不甲斐なさ。人は理想的なものばかりを、持ち合わせているわけじゃないということを。だからこそ、相手のみっともなさも、弱さも受け止めて、しかたないなぁと許しあえる信頼感。大切な人とそんな関係を築くことができれば、それだけで人生は、きらめく歌になるような気がします。
クリスマスですね。メリークリスマス!あなたの心に、今日だけは(ウソ、ウソ)幸せが舞い降りますように。
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