海外旅行に行くと必ずといっていいほど、マーケットに立ち寄ります。それは、気取らない地元の人々の生活の様子が垣間見えて、生きるエネルギーが伝わってくる楽しさがあるからです。
コタキナバルでも、そう。最終便に乗って日本に帰るまで、まだ時間があったので、セントラルマーケットで夕食をとることにしました。
そこは、1階では野菜や魚、果物などが売られ、2階は屋台街になっています。屋台からは魚や鳥を焼いている煙がモクモクと立ち込め、子供たちは店から店を、すり抜けるように走っては遊び、遊んでは走っています。
目の前に広がる南シナ海。時刻は黄昏どきです。カメラでシャッターチャンスを狙う私の前に、子供たちが寄ってきます。カメラが珍しいのか、まるで昔の日本人のように、写して、写してと、気がつくと10人以上の子供であふれかえっていました。なぜかウルトラマンのお面をつけている子供もいます。
露天商の子供たちなのでしょう。皆が兄弟のような感覚で、年の大きな子が、小さな子の面倒を見ています。誰彼の見境なく、誰を疑うでもない。優しい、優しいまなざしを向けて、ポーズをとる彼ら。
彼らの後ろには、買い物を終えて小船で帰ろうとしている夫婦がいます。強い波が来れば、あっという間に転覆しそうな船に、静かに乗り込む夫婦。主人が奥さんに手を貸しています。しばらくすると、船はポンポンと音を立て向こう岸へ。そして、それをずっと見送る子供たち。
赤い、赤い夕焼けに、すべてが照らし出されています。子供たちも、夫婦も、私たちも、隣にいるワンちゃんも。皆、赤く染まっています。そこには貧しくとも、心豊かな、単純な幸せがあるように見えました。なんだか、じんわり涙がこぼれます。
哲学者、ショーペンハウエルは言いました。「幸せとは単純で、不幸とは複雑だ」と。
帰れば、また日常が始まります。日々の何気ない瞬間に、隠された幸せがあることを、私たちはもう一度気づき、見つめ直す必要がありそうです。
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