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見果てぬ夢と現実と

 
愛すべき島その親切さに「かかわる」大切さをみる 済州島/韓国

済州島と聞けば、「人がいい」と反射的にこたえてしまうほど、親切な人柄が印象に残っています。

たとえば、道を尋ねると、近ければそこまで連れて行ってくれる、バスも手を挙げると、観光客とわかるのか、バス停でもないのに途中で止まってくれる、食事をとろうとお店に入ると、手をつないで席まで案内してくれる(!?)、とにかくどの人もこの人も親切なのです。

きわめつけは、コンタクトの調子が悪く、薬局で目薬を買おうとしたときのこと。言葉が通じないので、身振り手振りで目薬がほしいと言ったところ、薬剤師のおじさんに伝わったようです。

おじさんは目薬をもってきたかと思うと、ニコニコしながら袋をパッキーンと破っています。ええっ??そして、目薬入れてあげるから、カウンターのこっちに来なさいと、手招きします。いくらなんでも、そんなぁ。

なんとかお断りすると、今度は何か話したげで、韓国語であれこれ話しかけてくれます。でも、サッパリわかりません。すると、おじさんは突如、筆談を始めました。書かれてもわからないんだけどと思って見ていると、紙には漢字で「小倉」の文字が。おじさんは日本地図を書きます。小さい頃、九州の小倉に住んでいたことが、言いたいようです。

わかったような、わからないような、とりあえずうなづくと、おじさんは満足気です。そしてさらに、店の奥から栄養ドリンクを出してきて、またもやパッキーンとキャップをあけています。うろたえると、今飲みたくなかったら、もっていきなさいというような手振りをして、ニコニコしています。わたしの分と、一緒に行った母の分、二本分を手渡してくれました。

どんどん世知辛くなっている日本。だけど、おじさんが生活していた頃の日本は、人が人と喜んでかかわる、そういう時代だったのでしょう。幼かったときのおじさんの胸には、親切にしてくれた日本人の姿が焼きついていて、今、その日本人を見ると、懐かしさや、何かしてあげたいという気持ちが湧き上がってくるのかもしれません。

海の風を受けて立つ、物言わぬチェジュの守り神「トルハルバン」を見ると、私はこのときのことを思い出します。想い出を作るのも、人の心を育むのも、基本は人ですね。人間関係は、ときに面倒さや腹立ちをもたらすことがあるし、愛情は時間の経過とともに、質や量を変えてしまうこともあるけれど。だけど、それもかかわったからこそのこと。

メールや電話をとおしてつながる以上に、もっと「直接」人とかかわりながら、肯定的な感情や経験を共有しあえればと思います。




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