2007年、マニラに行ったとき感じたのは、二極化が進んでいるということでした。
現地の人に聞いた話では、貧民層が富裕層を平気で誘拐して、お金だけを巻き上げて殺してしまうこともしばしばあるとのこと。富裕層はボディーガードをつけ、車の窓ガラスはすべて防弾用。ところが、車のナンバーによって、たとえば1で始まる車を所有している人は月曜日のみ運転、ナンバー2の人は火曜日というように規制のある国。富裕層は子供の送り迎えのため、車を最低5台は持ち、一軒家を持つ人はガードをつける。反面、わずか20万円にも満たないお金で、食べていくため腎臓の売買に踏み切り、その後体調の不良を訴える人々も数知れず。
わずかな滞在で好き嫌いを言うのは、その国を理解していない証拠と思いながらも、格差を見せつけられる場面がたびたびあり、あまり好きになれなかった町、マニラ。
帰りの迎えに来てくれたガイドさんは日本人で、30年、この街に住み続けていると言います。お互い京都出身ということから、話がはずみました。
私「日本にはときどき帰られるんですか?」ガイドさん「飛行機代も高いし、日本の物価も高いから、あんまり帰れないんです。最近帰ったのは2年前。仕事で帰れたんです。ついでに両親のお墓参りにも行けました。よかったですよ」
私「…住んでしまえば、なかなか帰れないものですよね。でも、この国に長くいらっしゃって、いいと思われるところも、たくさんおありでしょ?」ガイドさん「…そう言われると…いいところ?私、蚊とか、とにかく虫が嫌いで。今、コンドミニアムの15階に住んでいるんですけど、蚊が出なくてね。一軒家をもつと危機管理が大変でしょ。その点、コンドミニアムはセキュリティもしっかりしてるし、快適ですよ」
切なくなりました。
今から30年前、海外のしかも未開発な国で仕事をしようと考える女性は、自立心の高い優秀な人だったに違いありません。だけど、この30年間のなかで、彼女はマニラに渡ったことを幾度となく後悔したのではないか。
30年現地にいても、日焼けなどしたことがないような色白な肌を見つめながら、そんなことを思ってしまいました。
未開発な国や、底上げが望まれる国に行くと、自分一人の力ではどうしようもできない、やるせなさを感じることはよくあることです。でも、そこに渡った日本人から発せられる言動、そこに感じてしまう切なさには格別のものがあります。
自分で選択する人生。その重さを感じずにはいられないのです。
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