オーストラリアといえばコアラというほど、イメージとしては定着している感がありますね。私もお決まりのごとく、ゴールドコーストの動物園では、コアラを抱っこして写真をとるというミーハーに徹してしまいました。
「かわいい〜」とすっかり興奮して抱っこをした私。ところが、出来上がった写真を見比べてみると、抱き方が悪かったのか、コアラは落ちまいと私にしがみついています。指にグッと力を入れ、腰が上がっていて、心なしか眉間に縦ジワが入っているような。あはは〜おかしい〜。
最初は笑っていたものの、だんだんかわいそうになってきました。休む間もなく順々に抱っこされるなんて、かなりのストレスでしょうね。
私は人からよく言われることがあります。それは「幸せそうな顔をしている」ということです(!)。たとえば会議で、その発言や発想にムカムカ怒っているとしますね。ところが会議終了後、対角線に座っていた人から、「いつ見ても、のどかで、いいよね」って言われたりするんです。フツーに考えても、会議中にのどかな気持ちに満ち溢れている人っていないですよね。でも、そう見えるようなんです。
相憐れむ気分になります。コアラだって、もともとストレスに弱い性質なのに、あーいう顔をしているから、あまり負担がかかっていなように見えるんですよ。
動物保護団体の訴える気持ちがわかります。人が喜ぶから、収益につながるからという発想だけで、本来、自然のなかで自然に生きている動物を、ペット扱いしてしまう。それはどう考えても、人間本位のエゴに過ぎません。さらに、猛獣なら触れてはいけないのに、小動物なら抱っこできますというのは、動物のなかでも軽重をつけているようでいただけませんね。
見るだけの動物園。それで十分ではないでしょうか。さわることが触れ合いではなく、負担にならないように、見つめ、見守る、そのまなざし、それを「触れ合い」というはずです。命と命の触れ合いに何が求められるのか、私たちはもう一度考える必要があるでしょう。
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